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歩き旅人は未明に出発したみたいだ。これくらいしないと一日四十キロは無理だろう。見習わなきゃ。まずは目の前の諫早市有喜町立へ。とても親切な方で真剣に話を聞いてくださった。感謝。国道を西へ走るが坂きつく、雨もはんぱない!途中、直売所にて休憩。こちらのおばちゃんにコロッケを戴いた。有り難いです。ここが峠で一気に下り同市飯盛町立へ到着。休みのため、文書を渡してもらう。ここからも上り坂だらけ。雨も相変わらず。日見峠もトンネルが出来てかなり楽になってるみたいだがすさまじい雨もあり、息するのがやっとで目も開けてられないくらい降った。長崎市内へはまるで巨大な鉢の底へ降りていく感覚で入っていき、長崎市立図書館へ。館内には救護所再現施設が有り入ってみる。二十分ほど巨大スクリーンの映像を観せてもらう。当時のフィルムや当時救護所で勤務されていた看護士さんなどの証言などだった。 放射能が毒といわれ、当時の方はどんぶり鉢いっぱいの酢を薬として飲んだり、牛の臓器を生で食したりしたという。薬草を煎じたりとまとも
っぽい事柄も書いていたが、情報の乏しい時代、効くというならなんでもやるしかなかったのだろう。救護所での処置もなんと、港で海水を汲んできてそれを煮沸消毒したものを患者さんにかけたらしい。消毒液すらなかったのだ。当時の医師、看護士さんもやりきれないを通り越して気が狂いそうだっただろう。 っと結局、三十分くらいいたけど時間も遅かったのか誰も来られなかったのが少し残念だが、地元の人なら一度は来ているんだろう。 市内をうろついて寝床をさがしていたら東京の図書館で勤務されていた方が声をかけてくださった。向こうは憶えてくれていたけど四年前の事。申し訳ないが僕は憶えていない。有り難く空き部屋をお借りして眠る。 PR |
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