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つまらなくてすいません。でも山梨県行ったときも、どこがやまなしやねん!やまばっかりやんけ!て思わずつっこみたくなったのを思い出しました。 自業自得ですが急坂は苦手! 今日も朝一から峠道。ただし景色ははんぱない。天気もよく、外海のため海も美しい。断崖絶壁を横目に上っては下りを繰り返し。なんとか昼に西海市大瀬戸へ到着!次が立派な橋を渡り大島図書館へ十五時半着。さらに北に走り、西海図書館へ夕方着。雨は小雨気味でなんとかよかったかな。汗なのか雨なのかわからないけどグッショリ。この時期の雨でも長く打たれていると低体温症になるから注意するが平気だった。 それからなんとか西彼まで走り公園にて一泊。途中声をかけてくださった方に「百年の愚行」をみてもらった!ありがとう。
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昨夜は眼鏡橋近くの柳の木にハンモック吊して寝た。朝は早めに出て、文書かけそうなところを探すがいまひとつ。っと贅沢にモスバーガーへ行き、文書二通書いてから出発。本日の目標は本集め!ひたすら書店をまわる。しかし大型店でも一冊も欲しい本がないこともざらで結局数ヶ所まわって六冊くらいしか無かった。まあ書店になかなかならんでないからこそ貸し出し甲斐があるのだけれど。 長崎市での貸し出しもほとんどなかったが、本日はホームページより関心を持ってもらい電車に乗って本を借りに来てくれた人に「一秒の世界②」貸し出し。ありがとうございます。その後、みじかいが、きちい峠を越えて声をかけてくださった方に「百年の愚行」貸し出し。普段なら図書館で借りてもらうように勧めるんだけれど、このあたりは図書館がなさそうなので。 その後も坂道だらけで汗びっしょりになりながら夜八時半に見つけた公園で野宿。
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今日は朝から久しぶりの晴れ間!長崎市内の図書館ではちょっと行く場所が見つからないため、本日は本を手に入れるのと、原爆資料館などをまわる。原爆資料館はちょっと原子爆弾の恐さが伝わりにくかった。ちょっと生々しさがなかったからかな。 中学生が原子爆弾の構造をノートに書いていたが、「何のため?」と思った。あとから考えてたら、やはり聞けばよかったなと。その後、祈念館へも行き、黙祷し平和公園にて洗濯をしたり。っと何人か被爆されたかたが声をかけてくださった。八十三歳のおじいさんとも話した。っと昼に島原の方とお会いでき、「あなたが世界を変える日」貸し出し。本の仕入れは進まず。
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歩き旅人は未明に出発したみたいだ。これくらいしないと一日四十キロは無理だろう。見習わなきゃ。まずは目の前の諫早市有喜町立へ。とても親切な方で真剣に話を聞いてくださった。感謝。国道を西へ走るが坂きつく、雨もはんぱない!途中、直売所にて休憩。こちらのおばちゃんにコロッケを戴いた。有り難いです。ここが峠で一気に下り同市飯盛町立へ到着。休みのため、文書を渡してもらう。ここからも上り坂だらけ。雨も相変わらず。日見峠もトンネルが出来てかなり楽になってるみたいだがすさまじい雨もあり、息するのがやっとで目も開けてられないくらい降った。長崎市内へはまるで巨大な鉢の底へ降りていく感覚で入っていき、長崎市立図書館へ。館内には救護所再現施設が有り入ってみる。二十分ほど巨大スクリーンの映像を観せてもらう。当時のフィルムや当時救護所で勤務されていた看護士さんなどの証言などだった。 放射能が毒といわれ、当時の方はどんぶり鉢いっぱいの酢を薬として飲んだり、牛の臓器を生で食したりしたという。薬草を煎じたりとまとも
っぽい事柄も書いていたが、情報の乏しい時代、効くというならなんでもやるしかなかったのだろう。救護所での処置もなんと、港で海水を汲んできてそれを煮沸消毒したものを患者さんにかけたらしい。消毒液すらなかったのだ。当時の医師、看護士さんもやりきれないを通り越して気が狂いそうだっただろう。 っと結局、三十分くらいいたけど時間も遅かったのか誰も来られなかったのが少し残念だが、地元の人なら一度は来ているんだろう。 市内をうろついて寝床をさがしていたら東京の図書館で勤務されていた方が声をかけてくださった。向こうは憶えてくれていたけど四年前の事。申し訳ないが僕は憶えていない。有り難く空き部屋をお借りして眠る。 |
