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【2025/07/28 07:34 】 |
労働の日(二十三日の日記)
今日もいいお天気!っと今朝も宮崎から加勢いただく。たとえ時間にゆとりがあられても三日連続で本当に有難いことだ。お陰様で昼ころには完全にすべての荷物の洗浄、仕分けに梱包まで終えることができた。段ボールにして十数個!
 なんせはがきの一枚、名刺の一枚からさっと洗い、砂を取り乾燥させての工程。
 本は全滅かと思いきや、何とか数冊、無事だった。
 
 ヨットは昼前に業者さんがユンボで吊り上げ、トラックにて搬出してくれた。なんと横っ腹はバックリと破れて大穴が開いていた!おそらく座礁後についたものだが、これではやはり処分しかなかったな。。。
 砂浜は、いつもの砂浜になった。。。

 夕方からは、民宿の手伝いをすることになる。なんと欠員二名で、七十人以上の夕食を用意しなければならない! 最初はなんとは無しに手伝いをしていたが、だんだんやばい雰囲気になる!
 っと女将さんはゴルフに行っていて戻ってきたのだが、ここでバトル!!「なにやってんのよー!」と怒り出し、ビビるがやたら面白い。旦那さんもタジタジながらも言い返してる。
 ほかの手伝いの方が僕に気を使ってくれて「ひもじかろう、夕飯食べなさい。」といってくれたが女将さんはそれを聞いて「いつもひもじんだから大丈夫でしょ!ガハハハ!」といったふうだ。
 だんなさんはゴルフ用のサングラスのまんまの女将さんに「おまえそれはおかしいだろう笑」と対抗している。
 そんなこんなで全員分の食事を用意し、片づけて二十三時すぎる。っと若奥さんもとても面白いかたで、こんな話をしてくれた。
 「昨日、ごみの業者から電話があってね、ヨットに人のゴミは有料だといってきたの。私がうちのお客さんだからいいじゃないのってゆっても納得してもらえなかったみたい。
 っと女将さんがどこかから戻ってきて、事情話すといきなり電話かわって、なんだって!!あの子は船でひっくり返って財布もなくて荷物全部海に浸かって、私だって一生懸命着物洗ってあげたのよ!あんた二千円ってそんな人からお金とれるか?
 困った人のために一生懸命してあげたら、絶対損しない。わかるか!っと啖呵をきったのよ。むこうはすぐさま説得されたわよ。」
 
 とのこと。かっこいいけど、迫力満点だ!明日の朝ごはんもよろこんでお手伝いいたします。
 っと今日はそういえば、昼頃、新聞をみましたとおじさんが訪ねてこられた。
 新聞の事件、事故の小さな欄に今回の海難事故が載ってしまったのだった。さらに別記事で大きく、民宿が記事になっており、海難事故者からアホウドリまで訪問する民宿みたいなので掲載されていた!
 っと話はそれたが、新聞記事をみたおじさんは、ヨットに乗る方でなんと一目みてあれ?なんか見たことあるっとそう!事故当日の朝、青島港にて声をかけてくださったかただったのだ!おじさんは「あんただったのか!」とびっくりしていた。
 おじさんは新聞をみて、なにか手伝いできればと青島から車で一時間以上かけてやってきてくれたのだった。
しかも事故の朝に会った人だとも知らずに手伝おうと。。。
 その時点でもうすべての作業は完了していたため、少し話して帰られたが、ほんとにそこまでできるひとがいるんだなあと正直、驚いた。
 おじさんは「あのとき引き留めておけばよかった。。。話を聞けば、沖で寝る臆することなく出航しようとしていたから、よほどベテランだと思って細かいことはゆわないようにしたんだ」 
 といってくれた。気を使ってくれたんだなあ。ほんとに俺はばかだなあ。

 おじさんは「これに懲りずにまた乗れよ」 といってくれた。ヨットが好きだとのこと。

 今日もなんとも有難い一日でした。感謝。
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【2011/09/24 01:03 】 | 未選択 | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
洗濯日
今日もいい天気。まずはごみの分別をする。ごみ収集車に持って行ってもらいずいぶん量が減った。内装、水車の台座などの大量の木工品は今日も加勢してきた下さった、日南のお父さんに持って帰ってもらう。なんと塩を作るのに薪にするとのことでありがたい。
ただゴミとして燃やされるのはやっぱりもったいないし悲しい。
 ということでさらに処理する量が減るが、刃物から着物に履物から食器まですべて洗い続ける。海図の枚数も二十枚以上あるが、やはり水に強い。
 自転車も少し錆びてただけで、壊れてなくてよかった。
 今日も加勢していただいたこともあり、大半の片付けが終わった。 
 船は、悩んだ結果、解体処分することにしたが、明日あたりから取り掛ってもらえることになる。
 料金はやはり高額で、財布も貯金も一円もありません!な、情けない自分では、どうしようもできないため、友人に頭を下げ、お金を借りる。来月から働き、一日でも早くお返しいたします。
 結局、膨大な仕事量がどんどんと片付いていく。。。
 
 っと民宿のおねえさんに何度も言われる「これからの人生はオマケよ。」
 これはどうとでもとれるが、耳に残り、考えさせられる。  今も変わらず、心臓が動き、呼吸をしていること、そのことがなんともいえない喜びだとまだ感じる。
  オマケの人生をどう生きるのか。
【2011/09/22 20:24 】 | 未選択 | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
本日の日記!
今日は天気がいい!やはり晴天は心も晴れる。
朝食をいただき、七時すぎ、ヨットの中を整理に行く。中は荷物と内装と砂と海水がぐっちゃぐちゃでえらいこっちゃになっている。
 紙関係のものが溶けてすごくなっている。先日買ったばかりの本、なんてもったいないことをしてしまったのか。。。
 とにかく細かいものは必要なものと不要なものにわけてビニール袋にいれ、大きなものは引っ張り出して砂浜におく。
 途中、昨年近くで船を転覆させたという漁師さんが来て、手伝ってくださる。仲間も近くにいるからと加勢してもらえ感謝。かなり早くあらかたの荷物を民宿まで運ぶことができた。
 昼からは枕崎の友人のお父さんが宮崎市に住まれてるため、手伝いに来てくださる。
 結局財布は見つからなかったが、かなり大切のものもたくさん見つけることができて、ほとんど船内は片付いた。
 夕方からは、洗濯。すべて砂を洗い落とし、寝袋、ハンモックなどは洗濯機にて、あとは着物のため二時間近くかけてすべて手洗い。羽織、着流し、浴衣、長襦袢に袴までかなりの量。っと民宿のお母さんが手際よく処理してくれ、僕は手伝いというかんじ。本当に技術もやさしさもはんぱない!ありがとうございます。
 っと夜に宮崎の友達が来てくれて、洗濯を手伝ってくれる。その後ヨットを見に。
 今なお、砂浜に横たわる巨体がさびしそうで、痛々しい。見ていると罪悪感を感じる。
 丈夫なヨットのため助かったなあ、もっと大切に乗ってやりたかったなあと思う。
 明日あたりに解体予定。今日もたくさんの方にお世話になりました。感謝。
【2011/09/21 22:43 】 | 未選択 | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
二十日の日記
なんとか朝方寝付け、少しは休めた。今日、台風は最接近で外では何もできないかんじ。海上保安庁の方と話したり、あとはネットを使わせてもらえたため、メールなどで、友達に連絡をとる。声が聴けて本当にうれしい。
 この日はとにかく落ち着くことと、報告をすることだ。
 夜も早めに休ませてもらう。
【2011/09/21 22:40 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
海難事故(十九日の日記)
朝、九時半ころに青島港を出て延岡へ向けて北上しました。台風はまだ沖縄あたりに停滞し、その後太平洋に沿って北上とのことだったが、まだ停滞中で波は三メートルから五メートルになるとの情報を得ました。風は東から北に変わるとのことで、海の狭い北からの風ならばそう高波にならないだろうと判断。五メートルの波は危険だが、延岡まで行けばそこまでいかないだろうと判断しての出航でした。
 出航時はかなり波浪はあったけど、ある程度沖に出れば大した波もなく順調に北上。
昼には宮崎市沿岸を通過し、さらに北上したあたりで、風がぱったりと止む。一時間ほどの凪となり、仮眠。夕刻に風が出てきて北の風。結局数キロ南に流されていてがっかり。仕方なく、北上。
その後も風は強まり、船は快調に走る。日が落ちて少し悩むが走ることにする。
風は北から東になる。走りやすいが、うねりをともなった大きな波が轟音とともに背後からせまる。四メートルの波を背後から受け、風を後ろから受けて走った経験もあり、緊張感はあったが、さほど恐怖心もなく走る。 

 確か、二十時過ぎて時計を見てから十数分後、いつもとは違う真っ白な波が轟音とともに押し寄せてきた。
 船はすさまじい衝撃で波にのまれ、その時点でマストはへし折れ、その他外装は粉々になる。水車など一瞬で無くなった。
 船は数回グルグルまわり裏返しに返る。僕は水中で息ができず、もうだめかと思いながらもなんとか水面に顔を出せたと思ったら、船が復元してくれた。
  
 ロープをしっかり抱いていたのでそのまま船に乗れ、急いでコクピットに入る。その瞬間、次の大波にのまれ再び、船はグルグルまわる。回れば船内は大量の荷物と机などの内装の破損物と大量の海水で巨大洗濯機状態。
 
 それでも必死で、水を汲み出す。船が沈没すればもう命はない。
 水は膝くらいまで浸水し、危険な量。それでも波を受けては、汲み出しを繰り返す。必死。
 幸いなのは、岸が遠くないことと、どうやら砂浜のようなこと。これが大隅半島の断崖絶壁だったなら、岩場に何度も叩き付けられまず助からない。
 
 波はどんどんと船を浜へ押し流し、あるとき、船の動きが止まった。底がつかえたのだ。
 タイミングを見て飛び込み、岸をめざし、泳ぐ。足がつく浅さだが、大波で今にもヨットが襲い掛かってきそうで慌てる。
 なんとか上陸し、砂浜に倒れこむ。たすかった。。。。
 絶対に死んでたまるかとは念じたが、恐ろしい死のにおいに包まれ続けた。
 死ななくて本当にうれしかった。涙すら出ず、ある種の放心状態に。
 砂浜からは、人の居そうなところを裸足でずぶ濡れのままさまよう。が、目の前にさらに川?ひょっとして無人島に漂着かと思って、再び泳ごうかと思ったら、舗装路に出て、陸続きだと判明。
 近くにいたクルマの人に助けを求め、警察へ通報していただく。
 すぐ近くに民宿があり、雨天のため、待たせてもらおうと声をかけると、熱いシャワーを貸していただき、休ませていただく。感謝と反省。
 上陸後、何度手を合わせたことか。
 全身打撲で体はズキズキするが、温まらないと低体温症になる。
 その後、警察の方が数人、先ほどのクルマの方も同席いただき、事情聴取。
 警察の方は、親切で心がホッとしました。ただ、警察の方も海難事故は管轄外で、海上保安庁の方に来てもらうことにする。
 日向から一時間ほどかけて海上保安庁の方が来られる。もう深夜。警察の方とは違い怖い。こんな日に事故では完全に自己責任で怒られて当然だ。
 まずは、ヨットが再び流されないように船体を固定しなければならない。これは僕の義務だが、歩くのがやっとでしかもまだ船は荒波の中のためお願いする。
 幸いヨットは完全に砂浜に打ち上げられていた。海上保安庁の方が写真などを撮り、僕も写る。どんな顔で写ればいいのか。。。
 その後、民宿にて詳しい取り調べ、事故の原因追究。厳しいお言葉をいただく。
 取り調べ後、深夜二時くらい、床につくが、なかなか寝付けない。 
 
 今回の事故は、「じてんしゃ図書館」の旅の中で一番の「失敗」です。
 原因は船の性能の過信と、それにともなう判断ミス。そのため、海上保安庁の方をはじめ、多くの方に大変なご迷惑をおかけし、深く反省をしています。自分にはどこか突っ走りすぎるところがあるなとは感じていましたが、それをリアルに痛感しました。
 本当に申し訳ありませんでした。
 
 今後、事故処理に時間、資金ともかかりますが、今後とも皆様、どうか見守って戴きたく思います。よろしくお願いいたします。
【2011/09/20 19:13 】 | 未選択 | 有り難いご意見(7) | トラックバック()
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