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【2025/07/27 16:21 】 |
干し柿日記開始!?
今日の茅葺き仕事は暑かった~。っと明日も気温は高そうだが、天気は良さそうなので、夕食後、干し柿の準備にかかる。
まずは皮を剥き、昼間仕事中に取っておいたシュロ縄の切れ端を使い、縄の縫い目に枝を差し込み吊す。 それから湯を沸かし、熱湯に十秒ほど浸ける。こうすることでカビが生えにくくなるらしい。
それからベランダに干した。レオパレスには似合わないかもだけど、僕は柿を干してあるのをみるだけで幸せを感じる。秋らしくてなんか心が和む。おんなじように軒先に薪を積んでいるのもめちゃ和む(笑) さあ、後はお天道様にお任せします。 ただ、ベランダは東向きで朝日しか当たらないかも・・・。 仕事の現場に干せたらぁ。ていうかカラスとかに突かれないかなぁ。それはそうと柿の皮が沢山出たけど本来は漬け物とかに入れるといいらしいが、漬け物まで作れなかったので今回はもったいないけど捨てることにする。
なんか今日は仕事より家事に専念したかんじだな~



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【2011/10/23 23:47 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ブログ再開!
今日からブログを再開します。今は旅は中断し、仕事をしているため一日おきくらいで書きたいです。 今日は雨で仕事は休み。住まいは岐阜県瑞穂市で富有柿発祥地ということもあり、以前より興味があった干し柿作りのための渋柿を探すことにする。
とはいえ富有柿は甘柿で渋柿はそう簡単には手に入らず。雨天のためそこらじゅうにある無人販売所にも柿はないし、畑にも人影はない。
散歩中のおばちゃんや農家の軒先の方に声をかけながら自転車でうろうろ。 っと納屋に電球の灯るお宅を見つけ、声をかけてみた。
こちらのおっちゃんはとても気さくな方で、しかもバッチリ柿農家!
話しをすると「よしふじ」という富有柿を受粉させる目的で畑に所々植えられる柿の実をわけて下さった! 干し柿はある程度の数作りたかったので、いくらか払い、十数個戴いた。 この柿は渋柿ではないらしいが、少し渋があり干し柿もできるとのこと。吊しやすいようにちゃんと枝も付いている。 今は早生富有柿で、来月初めからが柿の旬だと教えて下さる。おっちゃんは「毎日なぶっとるもんで、柿喰いたいとは思わんわ~」と笑いながら話してくれた。
茅葺き屋根工事で京都から出張できていると話すとかなり興味を持ってもらえ、話しが盛り上がった。 その後、上手に干し柿ができれば持ってきますと話して別れた。
それからは何度か交流のある北方町図書館へおじゃまする。変わらず温かい図書館で、数年ぶりだったが知ってる司書の方にも会えた。
図書館では、干し柿の作り方を調べる。少し古い素晴らしい本にかなり詳しく書いてあった。やはりネットより分かりやすく印象に残る。情報も古いほうがいい場合もあるのかもしれないと感じた。
結果、干し柿は案外むつかしいみたいだ。まずは気温。大切なのは渇いた冷たい風と日差しらしい。 うまくいくかなぁ~ちょっとまだ気温が高すぎる気がするのでカビを生やさないようにやってみよう!



【2011/10/22 17:29 】 | 未選択 | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
出発の日
 朝、六時半起床。朝食の準備などを行い、七時半、友達が民宿まで来てくれる。
 今日はどうも天気は雨だ。 四メートル近い「ろ」を車になんとか積載し、その他、自転車からダンボール箱もなんとか収めて出発。
 民宿では、本当に本当にお世話になりました。心より感謝。

 出発後、何度か積荷の確認をしながら、なんとか臼杵市まで到着。
 フェリーに揺られて二時間半で四国は八幡浜市へ。
 八幡浜からは松山まで高速を飛ばし、松山では父親が徳島から軽トラックを飛ばして来てくれており、荷物の載せ替え。
 にぎやかすぎる夕食を終え、友達は市内ホテルへ。めちゃくちゃお世話になりました。
ほんとに無理をいって電車でいくところを車で行ってもらいました。

 深夜には徳島県鳴門市の実家へ到着。ゆっくり休む。父に感謝。
【2011/09/26 15:47 】 | 未選択 | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
民宿最後の夜!
今日は朝、宮崎市内を出て、民宿まで三十分ほどで戻る。
 もう「おかえり~」とゆわれる。
 っと昼食の準備を手伝うが、今日は目の前の入り江でカヌーの試合のため、弁当を六十作る。もう作業もずいぶん慣れてきた。
夕刻には、三日間合宿していた高校生六十名が帰られ、静かになる。
 夕食は五名と極端だ。
 結局夕食は宴会場でカラオケをしながら、民宿のおとうさん、おかみさん、むすめさんと仕事で滞在されている人と僕で盛り上がる!平均年齢五十歳以上のため、演歌などがほとんどだが、僕も負けじと「男はつらいよ!」や北島三郎さんの「まつり」を熱唱する。着流しにたすきかけて、仕事用の前掛けして。

 本当にあっという間の六日間だったけれど、とにかく楽しかったです!ありがとうございました。
【2011/09/25 22:35 】 | 未選択 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
飲む日(二十四日の日記)
この日は朝六時に起きて手伝う。朝食も七十人ほど。。。朝は三時、四時から厨房は動いていて大変だ。少し寝坊だな。
 昼食はカレーライス。比較的手間はかからないが、僕は泣きながら、玉ねぎ、ジャガイモをひたすら切る。
 昼の片付けが終われば、枕崎から来た友達が来てくれて宮崎までいき、飲んかたをする。
 友達は、素潜り漁をしていて十九日もダイビングのお客さんが出たいからと無理して出航したそうだが、やはり危険な波のため引き返したそうだ。
 そしてこれは宮崎方面はもっとひどいだろうと、もし僕が出航していたらもう会えないだろうと思っていたらしい。
 その後も、漁師さんの事故の話をいろいろと聞かせてくれた。海に出るのは本当に命がけなんだなあとつくづく感じた。

 飲んかたは昼過ぎからはじまり、夜は宮崎市内に飲みに連れて行ってもらった。気持ちよく眠り、街のなかであらためて「助かったんだ」「生きてて本当によかった」と感じる。

 数日後、実家に帰ったらまずは両親に謝らなくてはいけない。と、ともに、産み育ててくれたことに感謝していると話します。
【2011/09/25 19:43 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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